推薦者の声【感動編】

推薦者の声-感動編-

  1. 推薦の声1.
  2. 推薦の声2.
  3. 推薦の声3.
  4. 推薦の声4.
  5. 推薦の声5.
  6. 推薦の声6.
  7. 推薦の声7.
  8. 推薦の声8.
  9. 推薦の声9.
  10. 推薦の声10
  11. 推薦の声11
  12. 推薦の声12
  13. 推薦の声13
  14. 推薦の声14
  15. 推薦の声15
  16. 推薦の声16
  17. 推薦の声17
  18. 推薦の声18
  19. 推薦の声19
  20. 推薦の声20

修羅場の倒産劇からの復活

佐藤先生とのお付き合いは、もう10年くらいになります。

私はその当時、年商10億円くらいの建設会社を経営しておりました。
先生には、決算事務と資金繰りを見てもらっていましたが、ある日突然、私の一番の取引先である中堅企業が倒産したのです。
月末の入金予定であった数千万の金額が消えてなくなり、私の会社もそのあおりで一回目の不渡りを出しました。

先生に話したところ、「起きてしまったことはしょうがない。それより大事なのは債権者との対応です。社長、まさか変なところでお金を借りてないでしょうね!?」と言われました。
私はその時、「ありません」と答えたのですが、実は先生に内緒で、高利のお金を使っていたのです。

今後の善後策を検討するため、先生の事務所へ向かう道すがら、本当のことを言うべきかどうか迷っていました。
事務所に着いて、先生の話を聞いているうちにだんだん怖くなり、私はその場で土下座して、本当のことを言いました。

先生は、
「なんで、そんな大事なことを今頃言うんだ!奥さんと子供はまだ家の中にいるんでしょう!?これから何が起きるか知っているんですか!!」と一喝されました。
そして私に、知り合いの弁護士と合流して、後から自宅に戻るよう指示され、
「私は今から社長の自宅に行くから、奥さんと連絡を取ってくれ!」と、すぐに私の自宅へと向かわれました。

あとから妻に聞いた話で、私と弁護士さんが自宅に到着するまでの間、先生が間に入って債権者と話をしてくれていたことを知りました。
黒塗りのベンツが3台も来て、あたりは修羅場と化していたとの事です。

その後、何度も嫌がらせがありましたが、その都度、電話で適切なご指示を頂きました。
生活費を工面するため、自宅の品物をフリーマーケットで売るのも手伝ってくれました。
不渡りのため、ロックのかかっていた定期預金を、銀行との交渉で引き出してくれたのも先生です。

その後、先生の知人の紹介もあり、何とか人並みの生活はできるようになりました。
今は、規模を縮小して、以前と同じ建設関係の仕事をやっております。
3年前には、次男も誕生し、親子5人で幸せな生活を営んでおります。

先生には、本当に言葉にはできないくらいの感謝の気持ちでいっぱいです。
私がしばらくして、「何でこんなに親身になってくれるんですか?」と聞いたとき、
少しはにかみながら、「窮地に陥って助けを求めている人を見捨てるわけにはいかないでしょ。それってカッコ悪いですよね。」と笑顔で答えられました。
私はその顔を一生忘れることはできないと思います。

先生は、勇気と情熱をお持ちの最高の人です。
自信を持って推薦させて頂きます。

神奈川県 横田真一 様

私にとっての神様!命の恩人です!!

私が佐藤先生とお会いしたのは、もう10年前になります。

当時、私の父が経営していた会社は、資金繰りの悪化から、銀行からだけでなく、高利のお金も使っていました。

私は何度も父に、「これ以上頑張ったところで深みにはまるだけだ。恥を忍んでもう一度出直したらどうか。」と、進言していましたが、「お前に何がわかる!」と全く聞く耳を持ってくれませんでした。
日に日に支払い利息も膨大なものになり、最終的には、上場企業に勤めている私も保証人にされ、「このままでは大変なことになる」と思い、私の会社の取引先に佐藤先生を紹介されたのがきっかけです。

父と二人で事務所にお邪魔したのですが、最初先生は、黙って父の言い分を聞いていらっしゃいました。
私の父が「ここまできたら、諦めないで最後まで努力するしかないです。」と言ったときに、先生はいきなり机を叩いて、
「あなたが努力するのは勝手だが、保証人になっている息子さんの家庭はどうなってもいいのか!!」と一喝されました。

それから先生は、具体的な数字をノートに書き出し、今後、父の会社が回復する見込みが無いことを一つ一つ丁寧に説明されました。
さすがの父も最期には納得したようで、「では、どうすればよろしいのでしょうか?」と、先生に指示を仰ぎ、言われる通りにすることにしました。

それから、先生と弁護士さんとで今後の打ち合わせをし、すぐにそれを実行に移しました。
父の自宅は、先生が予言したように暴力団による奪い合いとなり、最後には、機動隊まで出動する惨事となりました。
その前日、「明日は大変なことになるだろうから、今日の夜のうちに、大切なものは家から持ち出すように」と言われ、金目のものは無かったので、仏壇だけ持ち出したのを今でも憶えています。

ある程度のことは整理がついたのですが、一番のネックになったのは、私が保証人になっている高利の金融会社でした。
上場企業に勤めているため、自己破産もできず、先方と返済についての交渉をするしかありませんでした。
父から、「あそこは普通じゃない」と聞いてましたので、正直、泣きそうになりました。
私なんかが一人でノコノコ顔を出そうものなら、何をされるかわかりません。

そんな私の不安を察してか、先生は「一緒について行ってあげるから」と、仰って下さいました。
会社の前までは何とか行けたのですが、なかなか扉を開けることが出来ません。
そのとき、先生はこう言われました。
「別に先方も、あなたを取って食おうというわけじゃありません。
そんなに心配しないで下さい。
もし、万が一、最悪の事態になったとしても、私も一緒に死んであげますから。
でも私は、そんな簡単に殺されはしませんけどね。」
と仰り、大声で笑われました。

私は、その言葉を聞いて自分の心が熱くなるのを感じました。
「よし、この人と一緒に死のう!」
前時代的で大げさに感じるかもしれませんが、本当に私はそう思ったのです。
人間土壇場に追い込まれると、本性がわかるといいますが、その時の先生の言葉と笑顔は一生忘れることが出来ません。


先生の強気の交渉のおかげで、これ以上無い条件で、話をまとめることが出来ました。
今は返済も無事終わり、子供二人の平和な家庭を過ごしています。
妻ともよく話すのですが、こうした生活が出来るのも、すべて佐藤先生のおかげだと思っております。

先生から「今度NPO法人を作って、若い起業家が失敗しないように指導してやろうと思うんだ」という話を聞いたとき、「ぜひ推薦文を書かせてください」と、いの一番に立候補しました。

私は起業家ではありませんが、起業を目指される方、起業して間もない方にとっては、
佐藤先生ほど親身になり、時には体まで張って一緒に歩んでくれる方は、他にはいないと思います。
先生と歩んでいける起業家の方は、本当に幸せだと思います。
困っている人を見ると、絶対に見捨てません。
最後まで体を張って面倒を見てくれます。
あなたも一度、あのやさしさと強さに触れてみてください。
心の底から勇気が湧き出るのを感じると思います。

東京都  長瀬孝一 様 (S商会勤務)

銀行同期生としての思い出

私は、彼とは銀行の同期生です。

彼は、入行当時から光り輝いてました。

オーラがあるというか、とにかく、何をやるにしても自信に満ち溢れ

「コイツの言う通りにすれば大丈夫」と感じさせる独特の雰囲気を持っていました。

一番印象に残っているのは、新入行員の時の運動会の応援合戦です。

運動会の当日まで、彼がリーダーとなって、夜遅くまで練習しました。

いよいよ本番となり、前半部分で女子がチアリーディングをやったのですが、緊張のためかいつもの元気が出せないまま、我々男子と交代しました。

半ば諦めかけていた私たちに、彼はこう声をかけました。

「いいか、このまま終わったら、女子は全員後悔することになる。あいつらのためにも、ここで男子の気合を見せ付けてやろうぜ!声だけは思いっきり出してくれ!あとはオレがなんとかする!」

その言葉には妙に説得力があり、私たちは、彼の掛け声と共に位置につきました。

全支店が同時に応援をしているため、音楽やら太鼓の音が鳴り響く中、私たちの空手の突きに合わせた声が轟きます。

彼は、私たちの前で、運動場中に響き渡るくらいの大声で、空手の型を打ちました。

それは素晴らしいものでした。

圧倒的な迫力があり、おそらく、その場にいた全行員が見入っていたと思います。

結果は、奇跡の逆転優勝。

全員が飛び上がって喜びました。

特に、女子の喜びようは、ハンパじゃなかったです。

「コイツ、本当にスゴイ奴だなぁ」と改めて感じた瞬間でした。

今でも、正月には、銀行の同期が彼を囲んで一席設けます。

毎回思うのですが、彼と話すと何故だか元気が出ます。

「明日から頑張ろう!」という気にさせるのです。

それが彼のカリスマ性なのかもしれません。

「こいつについていけば大丈夫!」と感じさせる人間は、滅多にいないと思います。

そんな数少ない人間として、彼は、私にとって貴重な存在です。

岡山県  峰山浩之 様

学生時代から器の大きな先輩です

佐藤先輩とは大学時代のサークル(空手部)が同じで、私は1年後輩でした。

ある日、部室で着がえている時に、佐藤先輩の背中にふと目をやると、
それはブルースリーの映画の1シーンの様に血が流れ、腫れ上がってる傷跡がありました。
「いやちょっと暴走族と…」さりげなく語った佐藤先輩。
その淡々たるそぶりに、我々後輩はいつも驚愕しておりました。

大学の空手の試合はポイント制だったので、相手の顔面に当ててKOしてしまうと反則負けとなりますが、極真空手出身の佐藤先輩の試合は、その反則負けとなる事が多かったですw
先輩の試合は、豪快な一本勝ちか、豪快な反則負けのどちらかでした。(笑)
特に、全日本大会での京大のN選手(西日本大会準優勝者)との試合は、壮絶なものでした。
右の突き一発で相手はダウンして動かなくなり、即座に反則負け(笑)
試合後、「相手が強いと、手加減できないんだよなぁ・・」と、冗談交じりで悔しがっていましたw
裏を返すと、それだけ必死で取り組み、中途半端な事は大嫌いの性格です。

大学祭では、武道関係のサークルが警備を担当するのですが、佐藤先輩は2年生であるにもかかわらず、3、4年生をさしおいて、警備のリーダーに任命されたほどの実力者です。
空手部以外の武道サークル(少林寺拳法、柔道、合気道、古武道、剣道)全員を集めてリーダーシップをとり、大男の倒し方、武器を持った相手の倒し方といった、護身術指導(というよりケンカのやり方ですがw)をされました。

こういった人は得てして傲慢で、大雑把な性格の人が多い様に思いますが、佐藤先輩はそうではありません。
大学時代に住んでいたアパートも佐藤先輩と2年間同じでしたが、部屋に入ると、いつもきれいに整理されており、初めて訪れた人は皆、「掃除したの?」と必ず口にするほどでした。私は2年間、毎日のように佐藤先輩の部屋にお邪魔しに行っておりましたが、机の上が散らかってたり、本棚の本が斜めに立ってたり、というのを1日たりとも見たことがありません。

そのように繊細な性格を持ちながら、失敗事にもいつまでもクヨクヨせず、翌日には、
「おっ、もう何ともねぇー。立ち直った。」とケロッとしてたのは、まさに“つわもの”と呼ぶにふさわしい人です。
大胆かつ繊細、動と静のどちらも兼ね備えた、とにかく器の大きな人です。
佐藤先輩のように人は、滅多にいないんじゃないでしょうか。

私のHP「のらりくらり家族」にも、「空手部S先輩の武勇伝」と題して、佐藤先輩のことを綴ったページがありますので、お暇な方はご覧になってみて下さいw

岡山県 吉水幸三 様

高校時代の彼は・・・

NPO法人「起業家ホットライン」の設立おめでとうございます!

私は、佐藤君の高校時代の友人で、今は外資系企業に勤務しています。

高校時代の彼の印象は、とにかく目立っていたこと。(良くも悪くもw)

勉強はもちろん凄かったのですが、なぜか東大には行きませんでした。

「あんな官僚じみた人間しかいないところは面白くないから・・」という啖呵も、反骨心の強い彼らしいところだと思います。

高校時代の一番の思い出は、やはり学園祭です。

彼は、みんなの先頭に立って、劇の脚本と監督を担当しました。

進学校でしたが、高校三年の受験の時期に、夜遅くまで空き地でライトを照らして練習しました。

そんなある日、佐藤君が職員室に呼ばれたのです。

「君はいいかも知れないが、他の者は受験に影響する。悪いが、今回の劇は中止にしてくれないか。」というものでした。

彼は先生に向かって、

「劇に参加する者は全員、成績は絶対に落とさないといってくれています。

高校時代最後の思い出を作りたいんです。だから、僕たちを信じてください!」

と言ってくれ、無事、僕たちの劇は大成功を収めました。

翌朝の新聞にも写真入りで紹介され、本当にいい思い出になっています。

学園祭の打ち上げで、大道具や照明を担当した女子が、みんな泣いていたのを覚えています。

学生時代から彼は、「自分らしく生きるのが一番だ」とよく言っていましたが、独立して倒産寸前の会社を再生したり、起業家の支援をしたりと、困った人を見るとほっておけない性格の人間です。

今回の話を聞いて、「あいつは本当に、自分らしく生きているなぁ」と、うらやましく思いました。

今後のご活躍を陰ながら応援しています。

東京都 内田恒夫様

銀行の後輩として

僕がH支店に配属されたときの佐藤さんの印象は、

「店の予算を一人で背負っているスーパーマン」です(笑)

いつも月末近くになると、支店長代理から「佐藤君、頼むわい」と言われていたように記憶しています。

おかげで僕たちの支店は、何度も優秀賞を取ることができました。

佐藤さんがよく言ってたのは、「頼られたら必ず結果を出すこと。人に頼られてチンタラやっているようなら、男なんかやめたほうがいい」

佐藤さんは、銀行員としては型破りで、下の部下が上司に理不尽な理由で怒られていると、いつも間に入ってケンカしていました(笑)

そのクセ、ある女子行員が上司に向かって、「は~い」といいかげんな返事をしたときは、

「誰に向かってそんな返事をしてるんだ!」と大声でたしなめたこともあります。

また、あるお客さんの住宅ローンが実行できなかった時、その人に、涙を流しながら断りの電話を入れていたこともありました。

僕は、佐藤さんが転勤になったとき、その後を引き継ぐことになりました。

一緒にお客さんのところを、挨拶周りをかねて訪問したのですが、佐藤さんの転勤を聞いて泣き出す人もいました。

僕は、それから何度も引き継ぎを経験していますが、お客さんが泣くほど心の繋がった銀行員は佐藤さんだけでした。

引継ぎのとき、佐藤さんは僕にいろいろな話をしてくれました。

初めての転勤先で、前任者が銀行を代表するスーパー営業マンだったため、ものすごいプレッシャーがあったという話。

その人に勝つには同じ事をしてはダメだという発想から、自分独自のやり方を編み出したという話。

佐藤さん自身が、素質の面で、人よりは劣っていたという話。

それをどうやってカバーしてきたかという話。

どれもこれも、僕にとっては勇気を与えてくれる話ばかりでした。

おそらく、僕がプレッシャーを感じているだろうという配慮から、時間を割いてくれたのだと思います。

鳴り物入りで次の赴任先に行かれましたが、最初に担当したのは、誰もがさじを投げた、営業マンにとって不毛のエリアだったそうです。

そこでも佐藤さんは、半年後にはトップの成績を上げました。

「さすが、佐藤さんだ!」と本当に勇気付けられました。

「人のことは気にするな。自分だけの武器を持っていれば、必ず結果は出るから」と、転勤のときに励ましてくれました。

その言葉と共に、佐藤さんは今でも忘れることのできない大先輩です。

兵庫県  仁科誠二 様

西日本大会での涙

佐藤先輩には、個人的にかわいがってもらい、よく練習が終わった後、稽古をつけてもらいました。

先輩は軽くやっているつもりでも、その破壊力はハンパじゃなく、一度、背中に肘を落とされ、半身不随になりそうになりましたw

後輩のOが、夏合宿で先輩に顔面を蹴られ、しばらく右半分の顔が動かなくなったときには笑ってしまいましたがw

自分は、先輩が道場で笑っているのを見たことがありません。

普段はあれほど冗談が好きで、みんなを笑わせているのに、いざ練習になると、ほかの先輩が笑っているときでも、絶対に笑顔を見せません。

佐藤先輩は、その頃すでに武道サークルの中では最強とのウワサで有名人でしたので、

後輩の僕としては本当に自慢の先輩でした。

でも、一度だけ先輩の涙を見たことがあります。

先輩の4年の最後の試合となった西日本大会です。

自分たちの空手部の悲願は、西日本大会の優勝でした。

昔の空手部は強くて、2度準優勝していますが、それは何十年も前の話です。

ここしばらくは、これといった戦績は残していませんでした。

その大会で、先輩はベスト4を決める試合まで勝ち続けました。

いつもの反則負けもなく(笑)、順当に駒を進めました。

でも先輩は、この大会前に、右足を負傷していました。

練習中に後輩の顔面を蹴った際に、折れた歯が動脈を切り、少し触っただけでも飛び上がりそうになるほどの重症でした。

それにもかかわらず、あと3回勝てば、悲願の初優勝というところまできたのです。

先輩は、右足にサポーターをつけて出場したのですが、試合の途中で審判に、外すようとがめられ、そこからは素足での試合になりました。

いつもの思い切りのいい攻撃が影を潜め、結果、自分たちの夢はかないませんでした。

先輩は人目をはばかるように泣いてました。

おそらく、試合に負けた悔しさからではなく、足の痛みに負けた自分自身のふがいなさに涙が出たのだと思います。

先輩はいつも、「みんなに自分の存在を必要とされたら、そのときは逃げるな。弱気になった時こそ前に出ろ!」と言っていました。

その言葉通りに行動できなかった自分を許せなかったのだと思います。

でも自分は、佐藤先輩はカッコよかったと思っています。

怪我の事なんか一言も言い訳しないで、あれだけ頑張ったんですから。

事実、あの試合の後で、先輩のことを誉める人はいても、悪く言う人は誰もいませんでした。

すいません。推薦文らしくなくて。

先輩との思い出話になってしまいました。^^;

今後のご活躍を楽しみにしています。押忍!

東京都 栗原真一 様

辞めるなら限界までやってからにしろ

三年前の僕のお恥ずかしい話をさせて頂きます。

当時、僕は、就職した先の仕事に馴染めず、悩んでいました。
「この仕事は僕に向かない」と考え、退職して起業しようかと考えていたところ、知人の紹介で先生にお会いさせてもらいました。

そのとき、先生に言われた言葉で、ハッと目を覚まさせられました。
「限界までやってもいないのに、出来ないことを、向かないといって辞めるやつは、何をやってもダメだ。」

「自分の能力を限界まで発揮して、その中でトップの成績を上げられたら、転職を考えるというのはいいと思う。自分をステップアップさせるには、起業したほうが良いというビジョンがあれば、挑戦してみればいい。
けれど、目の前のそうした小さな目標すら達成したことのないヤツは、いくら起業しても成功することはないだろう。」

それから先生は、自分が独立したときの苦労話を例に出され、
「もうこれが限界というくらいに一生懸命働けば、分かることがひとつある。
それは、自分だけの力でお金を稼ぐということが、どれだけ辛いことかということだ。世の中そんなに甘くないんだ、と分かれば、今の君のような顔つきにはなっていないはずだ。」

あの日以来、その言葉の意味を噛み締め、退職することなく現在の職場で、周囲に認めてもらう努力をやってきました。
あのとき先生に言われた「人に期待される人間になれば、ものの見方が変わるよ」という言葉の意味が、少しは分かる程度の業績は上げることができるようになりました。

先日、久しぶりに事務所を訪問して、「いい顔つきになったね」と褒められたときのうれしさは忘れられません。

来年には、起業するつもりで準備を進めておりますが、今後ともご指導いただければ、と思っております。

東京都  渋井由行 様

心優しき侍

私と佐藤信之君とのおつきあいは、今から30年以上前の中学生時代からです。

以来高校、大学と同じ学校を卒業し、現在に至っています。

佐藤君の人となりについては、三つほどエピソードを御紹介すれば、お分かりいただけるのではないかと思います。

一つ目は高校時代。

私は高校2年生の時、生徒会長になりました。

当時の我が校の生徒会の一番の懸案事項は、「文化祭を土・日曜日に開催すること」でした。

そのことが、生徒会の活性化につながると考え、生徒総会で提案しました。

総会当日は、その是非を巡って侃々諤々と意見が出されましたが、反対する意見も出て、このままでは可決できない雰囲気になりました。

その時、佐藤君が手を挙げました。

彼の発言の子細については、もう記憶が定かではないのですが、

「今の会長(私のこと)を選挙で会長として認めた以上、彼が提案したことについて支持し、うまくいくかどうかみんなで協力してやってみるべきではないか。

やらないうちから否定的なことばかり言うのでは、彼を生徒会長にした意味がないのではないか。」という意味のことを言ってくれました。

彼の発言により、議論の流れが大きく変わり、文化祭の土・日曜日開催が実現したのです。

私は、彼の私に対する信頼と友情に感謝すると同時に、彼のポジティブな考え方に感銘を受けました。

二つ目も高校時代。

私たちが通っていた高校は、当時、県内では有数の進学校でした。

高校3年になると受験まっしぐらという雰囲気でしたが、彼は最後の文化祭で、クラスメイトに呼びかけ、演劇に挑戦したのです。

もちろん担任の先生方は猛反対。彼は職員室に呼び出され、「受験を取るのか、演劇を取るのか」と、詰問されました。

しかし、そんなことにくじける彼ではありません。

先生方に取り囲まれながら、一言、「もちろん、どちらも取ります!!」と啖呵を切り、意気揚々と戻ってきました。

そして、彼は脚本を自分で書き、演出をし、見事にA・クリスティーの「そして誰もいなくなった」を上演したのです。

彼の類い希な才能と、それを実行するバイタリティに脱帽しました。

三つ目は、大学時代。

彼が卒業控えた頃のことです。

彼は大変優秀で、内定をいくつも貰っていました。

そのほとんどが、超有名大手企業だったのですが、彼が最終的に決めたのは、誰でも知っている有名都市銀行でした。

ところが、彼はギリギリになって地元の地方銀行に就職先を変更したのです。

このことだけでも驚きましたが、わたしが本当に驚かされたのは、その理由です。

その理由とは、「両親のため」というものでした。

(他にもあったような気がしますが、この言葉だけが強く印象に残っています)

事実、彼は親思いで、大学在籍中の四年間、新聞配達のアルバイトその他で生活費、学費を稼ぎ、御両親からの援助無しで卒業しています。

彼は口癖のように「親に負担をかけないよう卒業して、これまで育ててもらった分、できるだけ早く恩返ししたい」と、言っていました。

その夢を叶えるべく、東京で起業し、私から見ると十分成功していると思うのですが、やはり心は故郷にあります。

彼は、御両親や家族を一番に思う「心優しき侍」です。

常に自分に厳しく人に優しい彼が、今回、NPO法人を設立し、志をもった多くの人々のために新たな仕事に挑戦しています。

遠く岡山の地から佐藤君を応援しています

岡山県教育委員会  横溝龍一 様

経営をなめてはいないか

私が先生の事務所を訪問したのは、ちょうど一年前のことです。

私は、事業を始めて5年目なのですが、これまで何度か紆余曲折がありながらも、なんとか3年前からは黒字経営を続けていました。

しかし、ある取引先の倒産により、当てにしていた売掛金の回収が不能になってしまいました。

それをキッカケに一気に資金繰りがタイトになり、そのための打開策を相談しに伺ったのが最初です。

おそらく、訪問したときの私の体からは、負のオーラが漂っていたのだと思います。

すぐに先生はそのことに気づかれ、

「君は、再起しようと本気で思っているのか」と仰いました。

私は即座に「本気です」と答えたのですが、先生は、

「じゃあ、今考えている具体策を言ってみなさい」と言われました。

恥ずかしながら、私はその時、頭が真っ白だったので、何も具体案は用意していませんでした。

「それが本気じゃないということなんだ」と一喝され、続けて仰いました。

「二日時間をあげるので、もう一度打開策を自分なりに検討してからこちらに来なさい。」

私は、早速その足で書店へ立ち寄り、ヒントになりそうな本を5,6冊買い込み、二日間寝ないで読み通しました。

正直、ここまで切羽詰ると、いくら本を読んでも、これだというものはありません。

つくづく、実戦と机上の空論の違いを考えさせられました。

それでも、いくつかの打開策を用意して、先生の事務所を再度訪問したのですが、

その案は、自分でも「理屈は分かるが、じゃあどうすればいいんだ」というレベルのものでした。

そのことを先生に正直にお伝えしたのですが、先生は、

「それが分かればいい。それと同時に、自分がいかにこれまで経営をなめていたかという事が分かればいい。」と、優しく仰いました。

うれしかったのは、その時点で、すでに銀行融資用の事業計画書と資金繰り表を作成してくれていたことです。

「これを持って銀行に行けば、1,000万程度の融資は下りるはずだ。とりあえず今からすぐに行きなさい」と、言ってくれました。

恥ずかしながら、私は、その場で泣き崩れました。

その書類のおかげで、1,500万円の資金調達に成功し、私の会社は持ち直しました。

今は、その返済もあと僅かとなり、会社自体も内部留保できるようになりました。

いくら感謝しても、感謝し足りないというのが、嘘偽りない私の気持ちです。

先日、先生の事務所を訪問したとき、こう言われました。

「人間というものは、負けたり失敗した時には、選択肢は二つしかない。

諦めるか、再度挑戦するかだ。

しかし、勝ったり成功したときは、いくつもの選択肢がある。

君の真価が問われるのはこれからだよ。」

そう言われて、初めて気づかされました。

前回の取引先の倒産は、決して運が悪かったから起こったものではない。

その予兆と対抗策を万全にしていれば、防げたはずの失敗であると。

「先生は、成功の中にこそ失敗の原因がある、と言うことを仰りたいのですね。」

と応えると、笑ってうなづいておられました。

経営者としてはまだまだ半人前の私ですが、これからもずっとこんな私を見守っていただけたらと思っております。

今後ともよろしくお願いします。

株式会社ウイング 代表取締役  中松邦彦

初対面での感動の涙

私が佐藤先生のオフィスの扉を叩いたのは、2006年6月。

その日はあいにくの雨模様でした。

当時の私は、様々な思いを胸に起業を志し、沢山の経営者の方々から色々なお話を伺っておりました。

見ること聞くこと、全てが初めての経験でした。

ただ私にあるのは、正直な気持ちと熱意だけ・・・。

そんな私には、どうしても佐藤先生とお逢いしたい理由がありました。

遡ること数ヶ月前、日本最大のSNSサイト[mixi]において、6000名近い参加者を誇るコミュニティ「『起業の天国と地獄』無料相談室」に参加しました。

その中で交わされる参加者同士の言葉は、他のコミュニティなどでは類を見ないほどリアルで人間の血が通ったもので、ただただ驚くばかり。読者を自然と引き込んでゆきます。

「ここは、インターネットの世界じゃない!」

真剣な議論や親身なアドバイスあり、思いっきりバカで愉しいコメントあり。

まるで人情味溢れる、青春ドラマのよう。

「そんな魅力たっぷりのコミュニティを主宰する佐藤先生とはどんな方なんだろう?」

そもそも何故このような良質なコミュニティを、「無料相談室」という形で始められたのだろう。

是非直接お逢いして、その経緯などをお聞きしたい。

そして、私の持つ様々な思いをぶつけてみたい。

そう強く願い続け、その数ヵ月後に私は先生のオフィスにいました。

「遠くから、ようこそおいでくださいました」。

柔らかく素敵な笑顔の中に、数多の経験に裏づけされた真剣な眼差しを持つ、

一言で表すと、「凄い」人でした。

お話をお伺いする中で、佐藤先生の温かい包容力、揺るがない存在感、圧倒的な人間力に身を任せている内、知らず知らずの間に涙が頬を伝っていました。

大の男が、大泣きです。

正直な気持ちを述べる術しか持たない、未熟な私を受け入れて戴けたことに対する感謝の気持ち。

さらに私に対して真剣に対峙して戴けたこと。本気でぶつかって下さったこと。

短い人生の中で、幾度も流すことが出来ない涙でした。 生きていて、よかった。

オフィスを後にすると、雨は止み、空は晴れていました。

その佐藤先生が、満を持して設立されたNPO法人「起業家ホットライン」が、ついに動き出します。

本気でぶつかることの出来る、「覚悟」ある起業家の方は、想像以上の財産を得ることは間違いありません。

末筆ではございますが、NPO法人「起業家ホットライン」のご発展と、この文を読んで下さっている皆様の尚一層のご健康とご多幸を、心からお祈り申し上げます。

株式会社フルプラス 代表取締役  山本啓史 様

もう一人の自分になってくれる人

私は起業して8年目になりますが、経営について悩んでいる時期、ある経営に関するネットワークのコミュニティに参加しました。

ネット上で他の参加者と議論を交わしていくにつれて、この質の高いコミュニティの主催者はどういう人物だろうと関心を持ちました。その人物が佐藤信之氏でした。

佐藤氏とお会いしてお話させていただき、氏の「高い志」に共感する参加者の集まりが、この質の高さを維持している事を実感いたしました。

さて、私は佐藤氏とお会いした中で多くの事を学ばせていただいておりますが、その中でも最も心を揺さぶられたのは、「覚悟はあるか」という言葉です。

多くの起業家は、「アイデア」「資金」「情熱」などの条件が揃っていても、「覚悟」が無い事で失敗してしまいます。なぜでしょうか?

それは他の条件と異なって「覚悟」とは、これから歩んでいく道が困難であるという事を知り、それを自分で受け止める心構えを持つことだからです。

それは「○○を覚悟する」の○○に、これからの人生を左右する、重みを持った言葉が入るからです。

多くの人は、この「覚悟」に気が付きません。

今の私にとっての「覚悟」は、「経営の本質」を意味する言葉になりました。

「経営の本質」とは何でしょうか?

本質とは、唯一のものです。

そうであるなら、「経営の本質」とは「存続」であると考えたのです。

私は歩んで来た8年を振り返る時がありますが、その道を引き返す事はできません。

同時に、未来には明確な道はありません。

それでも「覚悟」を決めて未来に進んでいかなくてはなりません。

その「覚悟」を持った時、私は、今「二つ目のステージ」を迎えている事に気付いたのです。

この事に気付くのに時間がかかりましたが、佐藤氏にお会いしなければ気付くことは無かったかも知れません。

私がどのようにして気付いたかを、これをご覧になっているあなたにお伝えしましょう。

これをご覧になっているあなたは、ご自身の経営に対して、または起業を考える上で、何らかの問題や迷いを抱えているかもしれません。

しかし、それを解決する答えは一つでは有りません。

もし正解が一つならば、教科書を見る事で解決できるでしょう。

でもあなたは、それでは解決できない事を知っています。

なぜなら「ある原因」は、誰に対しても「同じ結果」を生むわけでは無い事を知っているからです。

「ある原因」は、「あなた」を通じて、他の人とは「異なる結果」を生みます。

それでは「あなた」とは何か?

私はそれを知りたいと思い、佐藤氏にお会いしました。

会えば、「あなた」に話しかける「佐藤氏」が、「もう一人のあなた」である事に気付くでしょう。

そして、「もう一人のあなた」が、どうすれば良いのかを教えてくれるでしょう。

それは「あなた」にとって、心地よい内容では無いかもしれません。

しかし、それを受け入れることこそが、あなたに必要なことなのです。

佐藤氏の指導のありがたみは、後になって分かります。

これは、相談をさせてもらった私の、嘘偽りのない感想です。

私は心からあなたに佐藤信之氏を推薦致します。

有限会社ホームポジション  代表取締役 竹健治 様

http://www.hopo.co.jp

無駄なことは一切教えない人

私は、IT関連の会社を経営しています。

起業に際しては皆さんと同様、たくさんの本を読み漁りました。

不安を取り除くため、いろいろな情報をインプットしておこうと思ったのですが、
いかんせん、情報量が多すぎて、何が本当に大切な情報なのかが分かりませんでした。

実際に起業して数年が経ちましたが、今はっきり言えることは、
「実践と理論は全くの別物だ」ということです。

起業家向けの書籍を読む場合の注意点は、そこに書かれている結論を覚えようとするのではなく、
「行間から何を汲み取るか」ということです。

昨今の起業ブームもあり、書店には起業・創業関連の書籍が数多く出版されています。
ただ、その内容が、直接参考になることは皆無ではないでしょうか。

著者と同じ時間軸・空間にはいないのですから当然のことでしょう。
起業とか創業の表面的なことよりも、
もっと大局的な見地に立って自分自身を見つめることが大切。

例えば、プロスポーツ選手は、それぞれが個人事業主であり、
自分の腕・実力でメシを食べていくという意味で、それぞれが独立した起業家です。

彼らがいかに日々、精神と肉体を鍛錬しているかということを知ることは、
私に、基本的な心構えと基礎力の重要性を教えてくれます。

コピーとして氾濫した大量の情報が蔓延している昨今、
自分自身のなかで思考・決断・実行をする、という基礎力をつけなければいけません。

私は佐藤さんにお会いして、そのことに気づかされました。

佐藤さんは、「パレートの法則にあるように、全体の20%の部分を理解できれば、残りの80%はカバーできる。
今のように玉石混合の情報が溢れる中では、その20%が何なのかを知ることは、
長年経営に携わっていない限り不可能だ。」と私に仰いました。

私は現在、佐藤さんから経営判断のコツや、経営分析のやり方を教えてもらっていますが、佐藤さんの凄いところは、
「無駄なことは一切教えない」ということです。

起業一年目なら、一年目なりの。二年目なら二年目なりの、

必要最低限身につけておかねばならない基本的な部分を、ピンポイントで指導していただけます。
話を聞くたびに、「これまでなんて無駄な時間を過ごしてきたのだろう」と感じざるを得ません。

数多くの情報の中から、起業家の成長度合いに応じて、必要不可欠な部分だけを的確に教えて頂ける。
教えるだけではなく、無意識のうちに判断できるまで、繰り返し何度でも同じ事をやらされます。

その度に佐藤さんは、「経営もスポーツと同様、考えないでも体が動くレベルにまで脳に刷り込む作業を繰り返さないと一流になることはない。」と言われます。

そうした訓練を通し、起業・創業とは「自分自身を徹底的に知るための作業」であることを確認いたしました。

これらは、書籍云々ではなく、直接の出会いが引き寄せたことです。
私と同じような悩みをお持ちの方には、自信を持って、佐藤さんに一度相談されることをお薦めします。

ライブスケープ有限会社 代表取締役  伊藤琢視 様

http://livescape.co.jp

日々の辛さを忘れさせてくれる方

いつもはニコニコ、厳しいお話をされるときには、メガネの奥のつぶらな瞳が鋭く光る佐藤先生です。

そして、ビジネスでもプライベートでも、何でも楽しくしてしまう才能をお持ちの、

きっちり几帳面な佐藤先生です。

初めてお会いしたのは、某SNS内のコミュニティのオフ会でした。

三次会でカラオケボックスに入ったのに誰も歌わず、さまざまな語り合いをしながら、

あっという間に時が過ぎたのが印象的でした。

その後、考えられないような長時間にわたり、個人的な事業のご相談(愚痴とも言います)に乗って頂いたり、さまざまなオフ会で偶然に顔を合わせること数回と、その活動範囲とバイタリティには非常に頭が下がる思いです。

またそのバイタリティは、経営以外のところでも発揮されているとお見受けいたします。

事業の発想やアイディアなど、なぜかアングラな部分をついてこられるあたり、素の部分のお人柄が表れているなぁと思いますし、「どんな些細な可能性でも事業につながる」という良いお手本を、冗談を交え、具体的に示してくださるので、お話しているだけでとても朗らかな気持ちになれます。

しかし、その言葉の奥底には、壁に当たったり、道に迷ったときの、「転ばぬ先のひと杖」として、重要なヒントが隠されていたことに、後々気付かされることが何度もありました。

人生の道のりは一人で歩くには長く厳しいものですが、そこに色を添え、厳しい道のりを楽しくしてくれる才能をお持ちの方だと思います。

こうしたご縁を持てたことも、私の起業人生における一つの分岐点だと心得ております。

今後とも、ご指導・ご鞭撻お願い致します。

だんだん成長株式会社  代表取締役 武田じゅん子 様

http://www.realive.jp/dandan/index.html

信念の人

「佐藤さんとの出会いのきっかけ」

私が佐藤さんに初めてお会いしたのは、今年の4月だったと思います。

まだ面識がない私からの不躾なメールにも、丁寧な文面でお返事を頂きました。

その後、実際にお会いしましたが、本当に期待していたとおりの方でした。

佐藤さんにメールした理由は、私が、将来の起業に向けて準備中であり、起業の大先輩として是非一度この方の経営哲学や人柄に触れてみたいという思いが、自然と、それも強く沸いてきたからです。

なかなか私自身そういった思いになることはないのですが、佐藤さんの波乱万丈の経歴や、人としての生き様をひょんなことから知りえて、「この方には何としてもお会いしたい!」「お会いしないといけない!」と心の底から久しぶりに強く感じたのです。

「佐藤さんに実際にお会いしてみて」

実際にお会いしての印象は、私の予想どおり、いや予想していた以上かもしれません。

とても気さくで、年下の僕にも腰が低く、温かくもあり、また厳しくもある、非常に愛情と男気あふれる責任感の強い方だなと感じました。

佐藤さんが独立してまもない駆け出しの頃のエピソードや苦労話をお聞かせいただく中で、私自身感じたのは、この方はどんなことがあっても絶対にそこから逃げ出さないし、また自分の信念を最後まで誰が何と言おうと貫き通す「本物の経営者」だということです。

技術やスキル、専門知識をもっていらっしゃる経営者は数多くいると思いますが、それらと同時に、大きな志や揺るぎない信念をもった経営者は少ないと思います。

佐藤さんは、そういった両面をもっていらっしゃる数少ない経営者でした。

「佐藤さんの志に触れて」

世の中には、「起業家を増やしたい」「起業家を育てたい」と口先だけの人は数多くいますが、佐藤さんは違いました。

今のお仕事をきちんとされながら、「本物の経営者」を育てるべく、起業家支援のNPOを立ち上げて、無償で多くの起業家や起業予備軍のために日々奔走されていました。

本当に真剣になって指導されている姿を生で拝見し、いわゆる社会貢献といったうすっぺらいものではなく、それを超越した深い他己愛の精神と、次の世代に何か託さないといけないという強い使命感みたいなものを感じ取ることが出来ました。

「佐藤さんの思いを継いで」

私は、人との出会いは偶然ではなく必然だと強く信じている人間なので、こうやって佐藤さんにお会いできたのも、何か強力な目に見えない力によって導き出されたものだと思ってます。

まだまだ私自身、起業に向けてやるべきことはたくさんあり、経験も色々と積まないといけませんが、一経営者として、また人生の師匠として、佐藤さんを手本にしつつ、その思いを継いで、私の次の世代にも何か大きなものを残せるような人物になれるよう、悔いのない人生を、大きな志をもって励んでいきたいと思っております。

2006年8月10日

株式会社リクルート  河 東龍 様

熱意には熱意で返してくれる方

初めまして。

NPO法人起業家ホットラインのロゴマークを作らせて頂きましたCreative.RaD デザイナーの渡辺と申します。

僕が持つ佐藤さんの印象は「熱い人」!

僕達デザイナーは、作り手とクライアント、お互いの熱意がシンクロすることで良いデザインが生まれるものだと日々考えています。

いい人柄、熱意があること----漠然とした条件ではありますが、実際のモノ作りには必須の条件なのです。

というのもデザインには共同作業が伴うからです。

一方的にデザイナーがコンセプトを押し付けるのではなく、クライアントとの共同作業(密な打ち合せ)によって作品を仕上げていくことが理想の形です。恋人のような関係ですかね。

一方の気持だけでは成り立たないということです。

実際の現場でこういった関係を築くのは、かなり難しいことなんです。

そういった意味では、今回の佐藤さんとのお仕事は、非常に満足のいくものでした。

とにかく熱意のある人で、どんな細かなことにも手を抜かない。率直に要望や感想を伝えてくれる。

だから、お互いが気兼ねなく意見を言い合えるような関係を築くことができました。

個人的には、なにより仕事に対する気構え、根本的な生き方を学ぶことができましたね。

熱意を伝えれば、その分の、もしくはその倍の熱意が返ってくる。

そんな人間関係を望む方は、是非、佐藤さんと「ホットライン」を結ぶことをお勧めします。

Creative.RaD  渡邊真介 様

空手道部の憧れの先輩です

佐藤先輩は、岡大空手道部の伝説の人です。

輝かしい戦績もさることながら、やはり暴走族との抗争エピソードです。

10人くらいの暴走族相手に立ち回り、後ろからバレーボールの支柱で頭を殴打され、大量の血を流しながらも彼らを蹴散らした話は、今でも語り草です。

2回生ながら、学園祭の警備のため武道連合のトップに立ち、暴走族との抗争を繰り広げ、その名を轟かせました。

練習のときは、鬼より怖い先輩でした。

僕も夏合宿で先輩に蹴られ、顔面が半分動かなくなりました(笑)

同期のMは、先輩に前歯を3本吹っ飛ばされました(笑)

Y先輩は、背中に肘を落とされ、ふすまさえ開けられなくなりました(笑)

でも、一歩道場を出ると、本当に面倒見の良い先輩でした。

本当に同一人物かと思うくらいの笑顔で、よく僕たちを笑わせてくれたり、夜遅くまで悩みを聞いてくれたりしました。

一度、ある別の先輩がヤクザとケンカになり、太股を刺される事件があったのですが、

それ以来、その先輩はヌンチャクを常に携帯するようになりました。

佐藤先輩は、その先輩に「素手で身を守るのが空手だ。そんなモノに頼る時点でお前は負けているんだ!」と、怒っていたのを記憶しています。

いろんな意味で、先輩は、僕の憧れの人であり、最強の人です。

大学時代同様、NPO法人でも、僕たちのように後輩をかわいがってやって下さいw

押忍!

岡山県  小栗正人 様

本物の生き方です

先生と話してていつも思うのは、僕がどんな質問をしても絶対に、「そのうち分かるよ」と言わないことです。

必ず、その場ですぐに僕が納得できるように、僕のレベルに合わせて説明してくれます。

僕は起業を考えている若者ですが、会社で上司にそうした疑問をぶつけると、必ずといっていいほど「お前にもそのうち分るから」と言われます。

確かに、理屈だけでは通らないことが職場にはたくさんあります。

おそらく上司も、若い頃は、僕と同じような疑問を感じていたのだと思います。

でも、答えられないということは、やはり上司もこれまで学んでなかったのだと思います。

単に世間を批判して現状に甘んじただけであって、何も学んでこなかったのだと思います。

疑問を感じながら、答えの見つからないままに、「そういうものなんだ」と納得してしまったからだと思います。

でも先生は違います。

どんな難しい質問でも、本当に分りやすく説明してくれます。

それは、先生がこれまでそうした疑問を、自分の中でしっかりと消化されてきたからだと思います。

とにかく、生き方が真剣なんです。

自分の信念や考え方をしっかりと持っておられ、軸が全くブレていません。

僕も先生のような経営者になることが夢です。

これからもよろしくお願いします。

東京都  田村隆俊 様

全身にオーラを感じる人です

佐藤さんは、弊社が運営するサイト内の動画を見て、「気に入った」とすぐに連絡をくださいました。

お会いするまで相当構えていた私でしたが、実際の佐藤さんは、その太い人生をまったく感じさせない、なんとも温和な方で、弊社の映像製作の過程について、興味深く耳を傾けて頂いたのを今も憶えております。

しかし、その後、何度かの撮影で佐藤さん自身をカメラのファインダーごしに見てきましたが、話す内容もさることながら、発する一言一言にかける佐藤さんの情念の様なものに接し、現場では息をのむことさえありました。

実直なまでの冷静な視点と、豊かな感性で世の中を見つめ、情熱溢れるその思いで、誰分け隔てなくまっすぐに語る姿に、「真剣に生きる!」ということを改めて認識させられる方です。

その奥深い断片を、少しでも皆様に伝えられる様に、弊社も映像製作の面で微力ながら貢献できればと思っております。

株式会社 インターフェイス 取締役社長  高木誠 様

http://fussa.tv

苦労の果てに・・・

佐藤信之さんは、様々な顔と、様々な武器を持つ、特異体質の人です。

初めての出会いは、「起業の天国と地獄」無料相談室という、相談コーナーでした。

今時、無料相談なんてあり得ない…たぶん最後には、高価な壺でも買わされるのがオチだと・・・半信半疑で、その戸を叩いたのがきっかけでした。

で、どうだったのかというと、現在も何かと相談にのって頂いています。

もちろん高価な壺も買いました…なんて、言うことはありません。(爆笑)

自営業を始めて13年になりますが、本当に苦労しました。

サラリーマンと違って、1から10まで、すべてを自分でやらなければならない。

そんな中で、相談する人もいなくて(お金を出せばいくらでもいますが)、本当にボロボロになって聞き歩き、見よう見まねで現在まで来ました。

そんな私にとって、佐藤さんとの出会いは、生涯の財産だと思っています。

東京都  (有)パイオニアプロジェクト  取締役 瀬名南 様

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