● 起業家にとっていい人材ってどんな人?
いい人材が欲しい。
ほとんどの起業家は、こうした悩みを抱えています。
しかし、あなたは本当に、「いい人材」とはどういう人間のことを言うのかお分かりでしょうか?
これまで私は、クライアントからの依頼で、1,000人以上の人材の採用に携わってきました。
また、私自身も、いくつかの会社の経営に直接携わっていますので、「人材」についてはこれまで数多くの苦い経験をしてきました。
ここでは、私のそうした失敗談を交えながら、「人材」に関するノウハウをお伝えしようと思います。
いうまでもなく、会社にとって「いい人材」とは、「仕事のできる人材」のことです。
では、「仕事ができる」とは、いったいどういうことなのか?
あなたは、「仕事ができる」とは、指示されたことを正確にこなすことのできる能力のことをいうと思ってはいませんか?
もし、そう考えているなら、今すぐそうした考えは捨ててください。
この根本的な部分に勘違いがあると、後々取り返しのつかないことになってしまいます。
会社が要望する仕事を正確に理解し、期待通りにこなすことができる人がいます。
こうした人材が会社全体の2割いれば、会社は何とかやっていけます。
このような社員の働きにより、指示された仕事も満足にこなせない人たちの不足部分をカバーできるからです。
しかし、それだけでは会社は成長しません。せいぜい現状維持がやっとです。
確かに、社長の考える事業プランを忠実に実行できる人間がどんどんふえていけば、ある程度まで会社を大きくすることはできます。
けれども、それだけでは、将来必ず越えられない壁に当たります。
その先に進むためには、もうワンランク上の人材が必要なのです。
それが、「ビジネス自体を創造できる人間」です。
新しいビジネスを考え出すことのできる人材が、たったひとりでもいると、会社は、ある時点から急成長します。
こうした人間は、ほかの社員とはモノの見方がまったく違います。
物事を短期的に捉えるのではなく、常に先を読んで、長期的な効率を重視します。
また、ほかの人とは違った角度でものを考えることができます。
というよりも、そうした思考が自然に身についています。
こうしたトップランクの人材は、独特の雰囲気を持っていますので、ある程度の経験をつめば、見分けることができるようになりますが、難しいのはその先です。
たとえ、入社してもらっても、その人材を育てることができないケースが多いのです。
つまり、視点が違いすぎて扱いにくいということです。
それともうひとつは、こうした人材は、「ダメ社員」と紙一重だということです。
社長や上司にその違いを見極める能力がなければ、単なるお荷物になりかねません。
イチロー選手や野茂選手が柳木監督に見出されなければ、一生花開くことはなかったもしれないことと同様です。
そういう意味では、社長であるあなたの能力が問われます。
あなたの経営者としての能力が低ければ、いくら優秀な人材がいたとしても宝の持ち腐れになってしまうのです。
もちろん、こうしたトップランクの人材は、滅多にお目にかかれません。
私の経験上では、100人に1人くらいでしょうか。
しかし、こうした人材は、必ずどこかに潜んでいます。
私が会社の再建業務を請け負った際に、社長の右腕となり、会社再生に多大な貢献をしてくれるのはこうした人材です。
不思議なことに彼らは、危機的状況になればなるほど、その力を開花させます。
普段は上司の言うことをあまり聞かない社員であったにもかかわらず、会社を変革しなければならないような事態が発生すると、水を得た魚のような働きをします。
おそらく、長期的な思考が身についているのと、「成長」のためには「変化」が必要だということを、心の底から信じているのだと思います。
あなたが起業家であるなら、たった一人でもいいですから、こうした人材を手に入れて下さい。
そして、そうした人材を見分けるためには、あなた自身の能力が問われるのだということを覚えておいて下さい
●起業家の望む、即戦力になる経験者は存在しない!?
経営資源の少ない起業家の場合は、人材獲得に多額のお金を投資することができません。
しかし、人材の選択ミスが、即会社の業績に跳ね返るだけに、社員募集するにも条件を悪く設定することもできませんし、かといってお金を投資しすぎて失敗することも許されません。
そこで起業家の人が考えがちなのが、「中途採用」です。
そこそこ仕事のできる経験者をうまく取ることができれば、即戦力になりますから、入社後の研修費も必要ないし、ほかの社員に与える影響もよいだろうと考えます。
しかし、実はここに大きな落とし穴があります。
「本当に仕事のできる経験者が、転職マーケットに出てくることはない」ということです。
当然、仕事のできる人材であれば、会社サイドとしてはやめてもらっては困るわけですから、それなりの待遇をしています。
また、仕事のできる人材ほど、自らの仕事にやりがいを創り出そうとしますから、
よほどの事情がない限り、やめようとは思いません。
そして、もっとも大きな理由は、仕事のできる人材が、就職先のメドがつかないまま退職することなどあり得ないということです。
本当に仕事ができるのなら、在職中からいろいろな誘いがあって当然です。
自分の売り方は心得ていますから、こちらから会社を探すより、活躍を期待されて先方から誘われる方が、条件がよくなることも知っています。
その程度の長期的視野がなければ、仕事のできる人材とは呼べません。
結果、転職マーケットには、「自分は仕事ができる」と思い込んでいる経験者があふれることになります。
こうした人は、ある意味「仕事のできない新卒者」よりも、会社にとってデメリットが大きいといえます。
給与面でのコストが大きいことはもちろんですが、それ以上に決定的なデメリットがあります。
それは、「仕事のできない社員を増殖させる」ということです。
「仕事のできない人」の最大の原因は、「自分は仕事ができる」と勝手に思い込んでいることです。
これは心の問題ですから、なかなか修正がききません。
下手に口うるさく注意しようものなら、逆恨みもされかねません。
こうした経験者は、自分では仕事ができると思っていますから、経験の浅い人に「こうやればいいんだ」「そのケースではこう考えるべきだ」と、自分のレベルで仕事のやり方を教えます。
そして、何も知らない若い社員はその言葉を信用し、自分も同じような「仕事のできない経験者」へと育成されてしまいます。
その結果、会社は、「できない人材」を大量に抱えることになり、業績はあっという間に下降してしまいます。
これは、りんご箱の中に、腐ったりんごをひとつ入れることと同じです。
見る見るうちに、箱の中のりんごはすべて腐ってしまいます。
「それなら、そんな人材を採用しなければいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、実際はそれほど単純な話ではありません。
なぜなら、あなたの頭の中には、「経験者=仕事ができる」という誤った方程式が入っているからです。「経験者だから仕事ができる」と思い違いをしている限りは、こうした採用ミスを防ぐことはできません。
経営者であるなら、絶対に、「仕事のできない経験者」だけは採用してはならないのです。
彼らの一番の欠点は、「自分は仕事ができないということを自覚できる能力がない」ということです。
この能力が欠けている限りは、何年たとうが仕事ができるようにはなりません。
人は、「できない」と思うからこそ、努力するものですから当然のことといえます。
そんな人材に高い給料を払うくらいでしたら、その分、新卒者の採用にお金をかけるべきです。
特殊な才能が不可欠な業種でない限りは、時間をかけさえすれば、仕事に必要なスキルは身につけさせることができます。
特に、営業の分野では、本当に優秀な人材は、会社が一から育て上げるしか方法がないと言われています。
つまり、採用において重要なのは、「即戦力」ではなく、「いずれ戦力になる人材かどうか」の見極めなのです。
● 起業家は第二新卒者を採用すべきか?
採用するなら、中途採用よりも新卒者に力を入れるべきだという話をしましたが、最近もてはやされているのが、「第二新卒者」です。
第二新卒者とは、学校を卒業して1~2年で会社を辞めてしまった若い人材のことを言います。
小さな会社であれば、なかなか新卒者を取りづらいという理由から、社会人としての知識と仕事のスキルを多少なりとも身につけた若者を採用しようということです。
私は、どうしても新卒者が採用できないのであれば、第二新卒者に目を向けるのも良いと思います。
ただし、採用基準はあくまで、その人間のスキルや知識におくのではなく、「いずれ戦力になる人材かどうか」です。
これまで話したように、本当にできる人間というのは、そう簡単には会社を辞めません。
普通の人と比べて目標とするバーが高いため、自分がスキルアップしたと容易に満足しないからです。
ところが、第二新卒者は違います。
彼らは、社会に出て1~2年の経験しかないにもかかわらず、自分を仕事のできる人間だと勘違いしています。
もちろん、彼らの全てがそうした人間ではありませんが、やはり「経験がある」という意識が、彼らの成長を邪魔するケースが大半です。
社会人経験があるという意識から、そのつたない経験を主張しながら仕事を覚えようとします。
そのため、新卒者よりも、仕事を教えるのに時間がかかってしまいます。
社会に出て2年程度の経験など、何の役にも立たないどころか、むしろ、自分の成長を阻害するものだということを知らないのです。
これは、高卒の女の子のほうが、4大卒の女の子より仕事を覚えるのが早い、ということと同じ理屈です。
銀行でもそうでしたが、仕事が出来る出来ないは、学歴とは全く関係ありません。
それまでの生活習慣と、考え方がすべてです。
彼らに、前の会社を辞めた理由を聞いてみると、ほとんどの人たちが「自分の実力を認めてくれない」「頑張っているのに評価されない」「仕事に魅力を感じない」と口をそろえて言います。
本当に仕事のできる人間ならば、絶対にありえない理由なのです。
しかも中には、「会社は、できる人間から辞めていくものだ」と、本気で思っている勘違い野郎がいます。
確かに以前と比べれば、転職する人は増えたと思います。
しかし、だからといって、その人たちが優秀な人材だということとはイコールではありません。
残念ながら、転職マーケットに存在する人材のほとんどは、仕事のできない人で占められています。
そして、実はそうした人たちが、いろいろな会社をグルグル回っているから、転職する人が増えたように感じるだけなのです。
私がいた銀行でも、やはり転職する人はいました。
しかし、申し訳ありませんが、早くやめた人で優秀な人はいませんでした。
本当に仕事のできる人は、自分を高く売るためのキャリアを身に着けるためには、
少なくとも7~8年はかかるということを知っています。
自己実現に貪欲ですから、会社で何か実力アップにつながるものを手に入れない限りは、辞めてはならないと考えています。
もちろん、そうして実力を身につけた人たちが、転職するのに求人氏や求人広告を見ることがありません。
好条件でヘッドハンティングされるか、知人の紹介で高待遇先に転職するか、もしくは起業するかです。
こうしたことを踏まえた上で、第二新卒者を考えてみるべきです。
「鉄は熱いうちに打て」と言われるように、ベテラン経験者の中途採用に比べれば、いい人材にめぐり合える確率は高いかもしれませんが、やはり基本は同じです。
経営者の見る目にかかっていると思います。
●人は育てることが出来ない!?
さて、ここで人材採用について、最も重要なことを述べてみようと思います。
これを勘違いしたままだと、人材育成において無駄な時間と労力を費やすことになります。
それは、「人は、育てることが出来ない」ということです。
私の経験上、これは断言できます。
こんなことを書くと、身もふたもないと思われたかもしれませんが、「人は育たない」という意味ではありませんので、誤解しないで下さい。
人は、「育てる」ものではなく、「育つ」ものなのです。
私が経営者の方とお話していると、「あの社員がここまでになったのは、私が育てたからだ」とおっしゃる人がいますが、私はそうは思いません。
そうした人材は、よほどのことがない限り「自分で勝手に育つ」のです。
経営者の仕事は、そうした人材を見つけ出し、彼らが育ちやすい環境を与えてやるということなのです。
銀行員時代も、学生時代に空手の後輩を鍛えたときも、やはり伸びる人間というものは、最初からそうした「資質」を持っていました。
残念ながら、そうした「資質」を持ち合わせていない人間は、いくら教えても一定レベル以上には育ってくれませんでした。
また、クライアントの会社の採用面接を手伝うこともありますが、やはり最初に「コイツは良いモノを持っているな」と感じた学生は期待通りの活躍をしてくれますが、そうでない場合は、それなりの能力しか発揮できません。
「コイツはいまひとつだな」と感じた人間が、意に反して活躍してくれたケースは、これまで一件もありません。
やはり、仕事の出来る人材というのは、もともとそれだけの「資質」を持っていることが、大前提だという気がします。
経営者がよく、「あいつは化けてくれた」というのは、単に採用の時点では、経営者自身に本当の能力を見抜くだけの目がなかっただけのことに過ぎないのです。
このように、人材というものは、どんなに育てようと思っても、もともとの素質がなければ育たないという厳然とした事実があります。
それと同時に、いくら資質があっても、良い環境がなければ、せっかくの才能も花開くことがないというのも事実です。
それは、現在大リーグで活躍中のイチロー選手や野茂選手を見ればよくわかります。
彼らは、最初あの独特のフォームを首脳陣から変えるように強要されましたが、自分のやり方に信念を持っていますから、言うことを聞きませんでした。
そのため、首脳陣からは、役に立たないとレッテルを張られ、しばらく出番がありませんでした。
それを見出したのが、名監督といわれた柳木監督です。
彼でなければ、イチローや野茂といった大器を使いこなせなかったし、そのすばらしい才能を育てることは出来なかったと思います。
イチローも野茂も、「好きにやらせてもらったから良かった」と柳木監督のことを述懐していますが、及ばずながら私も彼らと同じタイプだけに、気持ちはよくわかります。
彼らは、決して思いつきだけで、人と違った方法を選択しているわけではないのです。
人の何倍も研究や努力をして、自分に最も適した独自のフォームや方法論を確立しているのです。
そして、物事を長期的視点で捉えているため、自分のペースを乱されることを極端に嫌うのです。
本当に出来る人間というのは、あれこれ指示しなくても、その先まで見通した上で行動しているものです。
やり方を教えるよりも、むしろ、目的を明確にしてやり、育ちやすい環境を与えてやることのほうが大事です。
では、どういう環境を与えてやれば、彼らはスクスクと育つことが出来るのか?
ここを間違えると、せっかくの才能をつぶしてしまうことになりかねません。
普通の選手がイチローにはなれませんが、イチローが普通の選手になる可能性は限りなく高いのです。
環境作りについては、いろいろな方法がありますが、ここではその中で最も重要なことを2点だけ述べてみます。
まず一つ目は、「正当な評価を下す」ということです。
当たり前のことだと思うかもしれませんが、経営者にとって、これほど難しいことはありません。
なぜなら、社員のほうが、あなたより素材としての可能性が高い場合もあるからです。
仕事の成果を正当に評価するのは当然のことですが、それ以上に注意を払わなければならないのは、仕事の「プロセス」です。
優秀な人材というものは、黙っていても、目標達成意欲は人一倍持っています。
そして、その目標達成のために、いろいろな方法を試します。
つまり、「プロセス」を重視しているのです。
こんなことを言うと、「結果だけでなく、もっとプロセスを評価しろ」と言う社員がうちの会社にも多いぞ、と思われる経営者もいるかもしれませんが、そういう意味ではありません。
確かに優秀な人間は、結果までのプロセスを重視して、独自の方法を創り出そうとします。
そして、プロセスに全身全霊をかけます。
けれども彼らは、そのプロセスを評価して欲しいなどとは、まったく考えていません。
全力で試行錯誤することが重要なことであり、結果は後からついてくるものだと知っているからです。
ですから、彼らは、結果が悪ければ評価されなくて当然だと思っているのです。
彼らは、自分の能力を高めることに目標を設定しています。
そのため、与えられた課題をクリアする方法を創り出すことに全力を尽くします。
それが、自分の限界を高めるための唯一の近道だということを知っているからです。
だから、経営者にとっての「プロセスの正当な評価」とは、結果だけを重視した自分の短絡的な「方法」を強要しないということです。
これは、経営者としての成長にもつながります。
優秀な社員の思考プロセスを汲み取ろうとすることにより、単視眼的な発想を食い止めることができます。
また、その過程で、思わぬビジネスモデルを思いつくことがあります。
私自身も、これまで何度も社員に助けられたことがあります。
優秀な人材というのは、他ならぬ、あなた自身を成長させてくれることもあるのです。
二つ目は、「優秀な人材には、優秀な上司をつける」ということです。
入社したての社会経験の未熟な人間は、子供と同様に入社後、初めて出会う人物を社会の平均レベルの人間として考えます。
そのため、この人選には、最大級の配慮を行う必要があります。
実行力、責任感があることはもちろんですが、一番大切な要素は、「自分に満足せず、常に上を目指している」かどうかです。
レベルの高い人間は、周囲に、「俺は頑張っている」とは絶対に言いません。
周りからは「仕事が出来る」と思われていても、自分では決して満足していないからです。
はるか上に、自分の目標を設定して仕事に取り組んでいます。
伸びる可能性を秘めた新入社員には、こうした上司を配置すべきです。
上司の仕事ぶりを見れば、「これだけやっても、まだ頑張っているとは言えないんだ」と感じるはずです。
その気持ちが、自分のレベルを押し上げます。
そして、後々、職場全体の空気を良い方向へと変化させていきます。
これが、レベルの低い上司だと悲惨なことになります。
せっかく良い資質を持った人材であっても、「この程度でいいのか」と、低いレベルで満足してしまいます。
一度身についた悪い習慣は、元に戻すのに少なくとも数年は要します。
人間というものは、もともと怠け者だということを知っておいて下さい。
私の事務所では、社員に、実力の120%くらいの仕事を与えるよう心がけています。
ほとんどの経営者は、実力以上の仕事を任せると仕事の質が落ちると考え、90~100%くらいの仕事をやらせます。
そういう経営者は、皆、「少しくらい余裕を持たせて、じっくりと育てたい」と口をそろえて言い訳します。
しかし、これでは社員を育てるどころか、つぶしてしまいます。
一年もたてば、90%の仕事しか出来ない人間になっています。
それが人というものです。
空手では、パワーをつけるためにベンチプレスというバーベルを上げるトレーニングをします。
50キロのバーベルを毎日20回ずつ上げていたのでは、いつまでたっても100キロを上げることは出来ません。
重さも回数も、毎日少しずつ増やしていく必要があります。
体調の悪いときもありますが、それでも毎日負荷をかけ続けます。
その苦しい鍛錬を続けるからこそ、目標達成の充実感と真の自信を身に付けることが出来るのです。
ただし、負荷をかけすぎてはいけません。
実力の50%も負荷をかけたのでは、自信喪失になり、つぶれてしまいます。
かといって、10%程度の負荷では軽すぎます。
私の経験では、実力の120%くらいがベストです。
最初は苦しいと思いますが、一年もすればこなせるようになります。
こうして得た実力が、本当の実力です。
5年もたてば、当初の2~3倍の実力がついているはずです。
人というものは、あなたが思っている以上に、環境に左右されやすいものであり、
元来、弱いものだということを覚えておいてください。
● 伸びる人材とは ~精神面~
これまでは、「将来伸びる人材」を見極め、育成することの重要性を述べてきました。
では、いったいどういう人材が「将来伸びる」のか?
そのポイントを精神面と能力面に分けて、述べてみます。
まずは、精神面からです。
ここでは、最も重要な2つのポイントを述べてみます。
1. 性格が素直かどうか
まず第一に重要なのは、「素直」だということです。
これは全ての能力の基本となります。
上司に指示されたいことを、意味が良くわからなくても、とりあえず言われた通りにやってみようという素直さを持っている人間は、仕事を覚えるのも早く、戦力になるのも早いものです。
ここで注意しなければならないのは、「素直な人間」と「イエスマン」との区別です。
何でも言われた通りに「ハイ、ハイ」と聞き、言われたことしかできないイエスマンを採用してしまうと、会社の将来を左右しかねない事態に陥ることになります。
大事なことは、「自分の価値観を持っているかどうか」です。
優秀な人材は、自分の価値観を持っていながらも、相手の価値観を受け入れることが出来ます。
彼らは、納得できないことでもとりあえず一度やってみようという、頭の柔軟性を持っています。
なぜなら、彼らは物事を広い視野で捉えることができるため、価値観というものは絶対的なものではなく、人それぞれであり、重要なのは、「その価値観がどれほどのレベルにあるものなのか」ということを知っているからです。
この点が、自分の価値観を持っていないため、相手の価値観に合わせてしまうことしか出来ないイエスマンとの大きな違いです。
ここを見誤ると、うわべだけのイエスマンを採用することになります。
彼らは自分の価値観を持っていないため、永久に仕事が出来るようにはなりません。
自分だけでは判断できず、常に他人に依存するお荷物に過ぎない人間だからです。
2. モチベーションは高いか
次に重要なのは、「モチベーションの高さ」です。
昔から、「地獄の特訓」と称して、泊り込みでモチベーションアップのための研修が行われています。
気に入らない人間の名前を叫びながら、イスや机を蹴飛ばしたりして自己を開放します。
確かに、研修から帰ってくると見違えるように元気になっていますが、しばらくすると
元に戻ってしまいます。
なぜなら、そうした方法は一時的な洗脳にしか過ぎないからです。
残念ながら、人間の持つエネルギーの量というものは、増えることはありません。
それが生まれながらのものなのか、若いときの経験によるものなのかはわかりませんが、20歳頃には確定してしまいます。
このエネルギーの量は、見かけでは判別できません。
経営者のよく犯す過ちは、「元気」「明るい」「声が大きい」といったうわべの気力で判断してしまうことです。
見かけは貧弱でおとなしくても、底に秘めたエネルギーは膨大な量がある人間はたくさんいます。
くれぐれも、「元気がいい人」というのを採用基準にはしないで下さい。
採用してから、見かけ倒しということに気づくことはよくあります。
では、このエネルギー量の大小を知るには、どこに着目すべきか?
それは、その人間の「目標の高さと覚悟」です。
その人の心の中にある「目標の高さ」は、いくら優秀な経営者でも高くすることは出来ません。
また同時に、人は、自分の目指したもの以上のところに到達することは出来ません。
最終的には、すべて自分で決定することです。
それと同じく、「覚悟があるかどうか」も重要な要素です。
空手を例に挙げると、道場で練習しているほとんどの人間は、「全日本大会に出場したい」「優勝したい」と考え、空手に打ち込んでいます。
しかし、それを実現できる人はほとんどいません。
その最大の理由は、目標を目指すことで払わなければならない代償があまりにも大きいからです。
そこまで強くなるためには、毎日、人の何倍も練習しなければなりません。
すべてに最優先されるため、彼女も作れなければ、友達と遊ぶ時間も取れません。
楽しいはずの青春時代は、道場の汗とともに消えてしまいます。
そして、結果として、「まぁ、そこまでやることはないか・・・」と断念してしまいます。
空手であれ何であれ、一つのことをあるレベルまで達成した人は、こうした葛藤を乗り越えてきた人間です。
多くの代償を払いながら、「なぜそこまでして自分は目標達成しなければならないのか」を考えてきた人間です。
こうした経験が、その人間の「価値観」を生み出します。
先ほどから言っているように、モチベーションの高さは、エネルギーの大きさに比例します。
エネルギーの量を知るためには、その人間の「目標の高さ」と「覚悟」を知ることが出来れば、ほぼ推測できます。
なぜなら、その人間が自分の人生を歩んできた過程において、確固たる「価値観」が形成されているからです。
自分の人生に価値を見出す作業を繰り返して来た人間が、仕事だけはいいかげんにやるということはありえません。
なぜなら、仕事も所詮、人生の上に乗っているものに過ぎないからです。
多くの人は、やりがいのある仕事に尽きたいと願います。
しかし、私は、仕事にやりがいのある職種があるとは思いません。
どんな職種だろうが、仕事の内容そのものにやりがいが持てることは滅多にないのですから。
「やりがい」などというものは、自らの心の中に存在するものです。
生きがいを持たない人間が、仕事にやりがいを持つことなどないのです。
だからこそ、「目標の高さ」が大事なのです。
目標を高く設定できるだけの「価値観」が必要なのです。
人生の勝負は、確固たる価値観に支えられた真のモチベーションにより、高い目標を超えようと努力するものが勝つのです。
● 伸びる人材とは ~能力面~
ここでは、「伸びる人材」選びのポイントのうち、能力面での着眼点を述べてみます。
もうすでに起業されている人は、「学歴がある=仕事ができる」という公式は、成立しないということはご存知だと思います。
つまり、「勉強の頭の良さ」と、「仕事の頭の良さ」は違うということです。
では、「仕事のできる頭のよさ」とは何なのか?
学歴があっても仕事ができない人間は、どこを見ればわかるのか?
これを判断するには、二つの要素があります。
ひとつは「コミュニケーション能力があるかどうか」
もうひとつは「論理的思考ができるかどうか」です。
1. コミュニケーション能力
コミュニケーション能力は、相手の話を聞きそれを理解できる能力と、自分の話を聞かせ相手に理解してもらう能力の二つに分けることができます。
相手の話を聞く場合は、「感性で物事を捉えることができるか」がポイントになります。
普通の人は、それほど順序だてて話はできませんし、適切な単語を選択することもできません。
そうした「なんとなくこんな感じ」という会話を理解するためには、相手の言わんとすることを汲み取る感性が必要です。
逆に、相手に話を理解してもらうためには、「話を論理的に組み立てることができるかどうか」がポイントになります。
相手に分かりやすく、自分の言いたいことを過不足なく伝えるためには、瞬時に文体を組み立て、それを、より効果的な言葉を使い表現する能力が必要になります。
そして、こうしたコミュニケーション能力も、大きく分けると三段階のレベルがあります。
まず最初のレベルは、「相手の言っていることが理解できる」ということです。
これができなければ、いくらこちらが仕事を教えても業務はこなせませんし、思わぬ誤解から、仕事に穴を開けてしまうことにもなりかねません。
この段階がクリアできない人間は、たとえどんなに高学歴でも採用はすべきではありません。
次のレベルは、「場の空気が読める」ということです。
相手が自分に対して、どんな感情を抱いているかが理解できないと、ダラダラとつまらない話を永遠に続けることになりますし、相手は不快感を持つことになります。
二度と、その人間とは話したくないと思うでしょう。
最後のレベルは「感情以外の部分で、相手の考えていることが分かる」ということです。
「この人は私に何を望んでいるんだ」「最終的にどう結論付けようとしているのか」という、相手の目的意識を読み取れる能力です。
もちろん、会話をやりながらですから、内容に応じて臨機応変に対処しなければなりません。
これは、後で述べるもうひとつの要素である「論理的思考力」も持ち合わせていなければ出来ない、かなりレベルの高い能力です。
では、こうしたコミュニケーション能力は、どうやって見抜けばよいのか?
一番手っ取り早く、確実に見抜くためには、面接をするのが一番です。
10分程度の会話で、大体のところは見抜くことができます。
この場合、判断のポイントは二つあります。
まず一つ目は、「会話が早いかどうか」です。
もちろんこれは、早口でしゃべるという意味ではありません。
こちらが順序だててしゃべっているときに、話を突然飛ばしても理解できるかどうかということです。
つまり、最初から最後まで説明する必要がないため、会話が早くすむという意味です。
頭のいい人間は、話の本質に関連した必要最小限のことしか話しません。
もちろんこちらは、相手のレベルが分かりませんから、最初は順序立てて話そうとします。
しかし、頭のいい人間は、すぐにその先の結論を読み取りますから、こちらが順序だてて話をしているとイライラしてきますから、場合によっては「今話されている内容はこういう趣旨だと思うのですが、それならばこうすべきだと思います」といったように、話の本質にそって会話を先に進めようとします。
これは、グループ面接をすると、より明確に分かります。
頭の悪い人間は、そのペースについていけないのです。
もう一つは、「ひたすらしゃべり続けていないかどうか」です。
これは後でも述べますが、営業能力があるということと、仕事ができる人材であるかどうかは、全くの別物です。
会話慣れしている人間は、得てしてどんな状況であっても、物怖じすることなく、流暢にしゃべります。
頭のいい人間との差は、「相手の様子を伺っているかどうか」です。
彼らは、会話の中でベストポジションを得るためには、まず相手の出方を伺うことが先決だということを本能的に知っています。
どんな意見を聞いても、即座に切り返すだけの自信を持っていますから、まず自分の手の内を見せることを拒みます。
自分のペースでひたすらしゃべり続ける人間というのは、どこかに自信のなさが潜んでいます。
実力を見透かされるのが怖いため、それをカムフラージュするかのごとくにしゃべり続けます。
そして、こちらがうんざりしている気配を感じる余裕もなく、持論を述べ立てます。
頭のいい人間は、話をしているとき、必ず相手の態度を見ながら臨機応変に話します。
常に、相手の意図を読み取りながらしゃべっています。
これは、最初は区別がつきにくいかもしれませんが、慣れてくると分かるようになります。
決して、用意してきた回答をしゃべり続ける人間には、だまされないように注意してください。
2. 論理的思考
この能力は、何かを判断しなければならないときに、その力を発揮します。
私のところには、毎日のように、経営判断を仰ぐ相談者がやってきます。
優劣がハッキリしている問題であれば、それほど悩むことはないのでしょうが、ほとんどのケースは帯に短し襷に長しで、不確定要素が入り混じっています。
それを検証して、正しい方向性を導き出すためには、論理的思考が必要不可欠です。
まず話を整理して、問題になっている部分以外の不確定要素を取り除きます。
そして残った部分で、どれが一番有効なのかを判別します。
不確定要素については、その後で加味することになります。
これは、マーケティングやビジネスモデルの構築をする場合には、絶対に必要な考え方です。
物事を雰囲気や感性で捉えてしまう人には、絶対にできません。
論理的にものを考えられるかどうかは、数学的センスがあるかどうかで決まります。
数学というものは、いくつかのカムフラージュされた数字の中から、その本質となる部分だけを抜き出し、同じ平面上に並べる作業です。
その平面に並んだ状態が、最終的にはひとつの方程式になります。
方程式に行き着くまでの作業には、論理的思考を要します。
つまり、論理的思考とは、玉石混合の状態を整理する能力のことです。
先に述べたコミュニケーション能力とは、ある意味相反する考え方が、論理的思考能力です。
ですから、この二つの能力をどちらも備えた人材というのは滅多にいません。
経験上、それぞれの能力を持っている人材は、全体の5%くらいですから、その両方を兼ね備えている人材は、全体の0.25%しかいません。
こうした人間であれば、経営者として十分成功する資質を持っているといえます。
これを判別するには、不確定要素をたくさん含んだ具体的事例を答えさせるのが一番です。
その人間が、与えられた問題をどのような手順で整理して結論を導き出そうとするのか、その過程を観察することです。
私の事務所では、定期的にそうした問題を社員にやらせます。
企業再生業務は、さまざまな要素が入り混じっていますから、整理能力がなければ、話が前に進みません。
手順を間違えると、会社の倒産につながりますから、ミスは許されません。
こうした業務においては、論理的思考は欠くべからざる能力といえます。
ここまで、「仕事のできる頭のよさ」に必要な能力とその判別方法について述べてきましたが、実は、それ以上に大切なことがあります。
それは、「自分の意思を伝えることの難しさを知っているかどうか」です。
コミュニケーション能力であれ論理的思考であれ、ビジネスの世界である限り、常に人間相手にその力を使います。
企業と企業の取引であっても、結局は、対人間です。
ビジネスの世界では、「言った」「言わない」が原因でトラブルになることがよくあります。
言ったことは伝わると思い込み、相手に正確に伝わったかどうかを確認しないことが原因です。
つまり、伝えることの難しさを知らないわけです。
人と話す場合には、お互いが100%分かり合えるのは不可能だという前提に立って、
コミュニケーションをとる必要があります。
この大前提を知らなければ、いつまでたっても仕事ができる様にはなりません。
マイペースで仕事をし、「あのとき言ったじゃないか」と、いつも文句を連発するトラブルメーカーになってしまいます。
「自分の意思を伝えることは難しいのだ」ということを分かった上で、相手に合わせて交渉ができる人間が、本当に「頭がいい」といえるのです。
● 起業家が、いい人材を採るための必須条件とは?
さて、これまで「仕事のできる人材」について、いろいろなことを説明してきましたが、カンのいい人は、それらを読んでお気づきになったと思います。
それは、「あなた自身の能力」についてです。
これまでの文章を呼んで、「自分は優秀な人材が見抜けるだろうか」「そうした人材を育てることができるだろうか」と不安になった起業家の方も多いと思います。
ここで申し上げにくいことを言わなければなりませんが、会社の規模が小さいうちは、
「社長以上の人材が来ることはない」のです。
よく、「名選手必ずしも名監督ならず」といわれますが、これはあながち間違っているとは思いません。
確かに大リーグの監督で、かつて名選手で鳴らした人物は少ないと聞きます。
しかし、それは大リーグの名だたる名選手と比べてということです。
素人に毛が生えたくらいのレベルの人間に、野球の指導ができるはずがありません。
それと同様に、自分が仕事のできる人間でないのに、人の指導ならできるなんてことはありえないのです。
一番とは言わないまでも、少なくとも上位5%くらいに入る人でなければ、社員など持つ資格はありません。
しかし、現実問題、今からそうした能力を高めようにも20歳を過ぎているのであれば、なかなか思うようにはいきません。
ならば、もうあきらめるしかないのか?
いえ、決してそんなことはありません。
コミュニケーション能力や論理的思考がトップランクでなくても、優秀な人材を集めることはできます。
それが、経営者の「魅力」です。
優秀な人材で小さな会社に入りたいと考える学生は、その大半が社長の信念や経営理念に共感し、魅力を感じて入社を決意します。
この社長と仕事をやってみたい、という気持ちが彼らの背中を押すわけです。
こういう話をすると、決まって出てくるのが、三国志の蜀の逸話です。
劉備の元に、関羽や張飛、孔明といった素晴しい人材が集まり、彼を盛り立てます。
小さな会社の社長は、「自分の会社にも、ああいった人材が来てくれて、力を貸してくれたらなぁ」と夢のような話を望みます。
そんな自分に都合のいいことばかり言う社長に限って、「あなたでは絶対に無理です」と言いたくなるような人が多いものです。
そんなことは不可能だということは、少し考えれば分かるはずです。
彼の元に集まった豪傑は、「天下泰平」という大義名分のために動いたのですから。
どうして赤の他人が経営する「会社」のために、命を投げ打ってまで集まる必要があるのですか。
だからこそ、経営者の「魅力」が不可欠であり、誰もがひきつけられるだけの「経営理念」が必要なのです。
人材をひきつける要素はいろいろありますが、その中でもっとも大きな要素は、経営者の魅力です。
それは、言葉を変えると、経営者の「器量」とも言えます。
優秀な人材というものは、経営者の器量に魅せられ、ついてくるものです。
小さな会社で人材を集めるには、これしかありません。
最近は、成果報酬型の給与体系がはやりで、それをエサに人材を集めようとする経営者も多いですが、私はその方法には賛成できません。
社員を、数字を上げるための道具としてしか考えない社長に、人が着いてくるわけがないと思うからです。
もちろん、そんな社員が、「この会社のために」と愛社精神など持てるはずがありません。
鼻の先にニンジンをぶら下げるような方法は、一時は効果を発揮するかもしれませんが、長続きはしません。
優秀な営業能力を持った人間は、お金のためだけに働こうとしますし、他から誘いがあれば簡単に離職してしまいます。
それを防ぐためには、彼らにそれなりの報酬を与えなければなりません。
そうすると、ますます彼らは増長することになり、会社の意思統一が図れなくなってしまいます。
お金で手に入れた営業力しかない会社は、こうしていずれ業績が低迷していきます。
それが経営というものです。
私が最初に、「社長以上の人材が来ることはない」と申し上げたのは、「社長より器の大きな人間は、社長についてこないし、社長もその人間を使いこなすことができない」という意味です。
だからこそ、社長自身の「器量」が不可欠なのです。
しかし、人間の器というものは、25歳くらいまでには確立してしまいます。
それまでの「経験の量」と、経験を元に形成された「価値観」がものをいいます。
社長を含め、よい人材というものは、訓練すれば育つと考えている人がいるかもしれませんが、残念ながら、よい人材に限っては育ちません。
訓練などでは決して補えない「資質」がそこには立ちはだかっています。
この壁だけは、ある年齢を過ぎてしまうと、いくら努力しても乗り越えられません。
だからこそ、若いときには、この「資質」を身に着けるための土壌作りが優先されるべきなのです。
私はこれまで、「人材は育てるものではなく、育つものだ」といってきましたが、
社長にそれだけの器量があるのなら、人材は育ちます。
できる人材を育てるということは、その人が持っている資質を引き出す手伝いをするということです。
人材を育てることはできなくても、その成長速度をスピードアップさせることはできます。
会社が小さなうちは、「経営者」と「会社」はイコールです。
経営者の器以上に会社が大きくなることはありません。
たとえ、運よく成長したとしても、必ずどこかで経営者の器に逆戻りします。
社長自らが「価値観」を高め、「会社の魅力」を高め、さらに「個人的な魅力」を高めていくということが、よい人材を採り、結果的に会社を伸ばしていく最も効果的な方法なのです。